March 04, 2008

柴崎友香 『ショートカット』

ショートカット

半透明のブックカバーをはずすとそこに残るものは木々だけとなり、淡い色をした人影は消えてしまう。

引き返して片野くんを追いかけようなんて思わなかったし、次の約束をしたいとも思っていなかった。ただ、もう一回、同じように同じ道を片野くんとしゃべりながら歩きたいと思った。一時間前に戻って、もう一度あっちゃんの店の前から二人で歩きたかった。まったく同じ事を繰り返しても話してもいいから。明るい真夜中の道を、自転車の車輪の音を聞きながら、一時間だけ。(61)


とても残酷な夢を見る一方で、その割合は少ないけれど幸せな夢を見ることがある。それはかつてあったことだったり、それがほんの少し自分の望んだ形に変わったものであったり、さて全くもって新しい想像の世界であったりと様子はいつも違うけれど、目覚めてふと思い出す瞬間には「もう一度」と横になってしまいたくなるようなものばかりだ。
特別なことは望んでいなくて、特別強く望んでいるわけでもないのに、こうして夢に見てしまうものだから、”まったく同じ事を繰り返しても”いいからと思わずにはいられないものだった。
大切なものを失ったとしてもそれをことさらのように言葉や態度に示すばかりではないけれど、私だって時にはそんなことを口に出してしまいたい時がある。ただそれはやはり大声を出したりするような類のものではなくて、”明るい真夜中の道を、自転車の車輪の音を聞きながら”話すような、静かで、ゆっくりしたことなんだと思う。少しくらいは笑いながら、悲しい話をしたくなったりするような。



「遠くにおるってことと、そこにおれへんってことは同じじゃないけど…」(67)


ある映画にこんなセリフがあった。(*1)

”人生は断片の総和よりも大きいのよ”

同じに見えるものが違うものだと気付けたら、それだけで少しは何かが変わるだろうか。



(*1)『16歳の合衆国』:突然、刹那的な殺人という凶行に走ったごく平凡な16歳の少年の心の内を真摯に見つめた衝撃の青春ドラマ。主人公の複雑な心の葛藤と、事件で安定を失ってゆく周囲の人々の人間模様をリアルに描く。





vespertide at 13:54│Comments(1)TrackBack(0)  

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この記事へのコメント

1. Posted by keyko   July 24, 2011 22:34
柴崎友香さんが持っている才能が分かった!

柴崎さんの新作、「虹色と幸運」発売されました。
そしてエッセイも書かれているんですね。
興味あるので、柴崎さんでヒットするサイトを見ていたら
詳しく書いてあるサイトが・・・。
http://www.birthday-energy.co.jp/ido_syukusaijitu.htm

柴崎さんの特徴や作風の背景がいつもと違う角度から書いて
あって、こちらもオモシロイ。
「客観性に優れ物の裏側を読み取るのが得意」
という才能が作品にも現れているのかも知れません。

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