July 2011

July 10, 2011

WLANDIMIR HOROWITZ ピアノ曲集

HOROWITZ!?

その名前を見た時にこれは出会いだと感じる。
タワーレコードでセール品となっていたこともあるが、
ともかくCD10枚セットで1,000円を切るのはお買い得だと思い、
初ホロヴィッツCDというお試し気分で。

Vollkommenheit Und Seele/Perfection & Soul
Vollkommenheit Und Seele/Perfection & Soul
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2、3年ほど前に彼の名前を聞いて、いつかは聞いてみたいと思っていた。
インターネット上でフリーのものを探してもよかったが、
録音の年代自体古いものをアップロード用に圧縮しているので輪をかけて音質が悪くなっている。
やはりCDにしようかなと(半ば忘れながらも)思っていたので丁度良い機会だったのかもしれない。


どうも(音楽的に)耳があまり良いと言えるわけではないので機微はわからないが、
良いものと一般的にも個人的にも言われているものを聴いて見るのはいいことだと思う。
自分自身の教養のためでありながらも、誰かにその話をして聞いてもらって、
何か共鳴する所を見つけられたらとても素敵なことなのだから。

言葉でつながる世界
音で響き合う世界

音は、孤独ではいられない。



ウラディミール・ホロヴィッツ
Vladimir Samoilovich Horowitz (-・サモイロヴィチ・-)
1903年10月1日-1989年11月5日
ウクライナ出身 (有力説:ベルディーチウ/本人談:キエフ)

1928年: 大喝采にて鮮烈なデビュー
同年録音された、リスト「ロ短調ソナタ」、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」などは、
現在でもこれらの曲の最高の演奏とする声も多い。

1940年:アメリカに居住、1944年市民権取得

1953〜1965年:コンサート無し

1960年代〜1970年代前半にかけてCBSにて録音。現在でも最高の音盤の一つと言われる。
(ショパン、シューマン、ラフマニノフ、スカルラッティなど)


音楽的なことはよくわからないのでwikipedia:ウラディミール・ホロヴィッツから引用。

1985年、ホロヴィッツはドイツ・グラモフォンと専属契約を結び再びレコーディング活動を始めた。この頃には、極度の技巧を要する曲に固執することをやめ、最弱音から最強音まで完璧にコントロールされたデュナーミクと、独特のタッチとペダリングを使い分けることによって生み出される色彩豊かなトーンで聴衆を魅了し続けた。爆音を鳴らすピアニストのように言われることが少なくないが、実際には、最弱音が弱音でありながらホールの一番後ろでも美しく聴こえることにこそホロヴィッツの特徴がある。CDでは実際の演奏の魅力を伝えきれないと言われるゆえんである。1986年には、およそ60年ぶりの祖国となるモスクワ、次いでベルリンでもコンサートを開き、絶賛された。その模様は今日CD等で発売されている。初来日時の不調を気に病み続けていたホロヴィッツはこの年日本を再訪した。

指さばきの速さや難曲におけるミスタッチの少なさであれば、現代ではホロヴィッツ以上の技巧を持つピアニストは少なくない。しかしながら、一般の聴衆だけでなく実演に接したほとんどの評論家やピアニストも「ホロヴィッツの音は独特であった」と口を揃えて証言しており、ピアノを歌わせるという点で彼に比肩しうるピアニストを見出すことは困難である。


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July 09, 2011

緒方洪庵と『扶氏経験遺訓』

先日とある番組で特集があったので。ちょっとしたメモ。



緒方洪庵(おがたこうあん)
1810年8月13日〜1863年7月25日
(文化7年7月14日〜文久3年6月10日)
備中国足守藩下級藩士の子(現・岡山県岡山市北区足守区)

  • 1818年(8歳):天然痘にかかる
       【大阪、江戸、長崎で医学を学ぶ】
  • 1838年(28歳):大阪瓦町にて医業を開業し、蘭学塾「適々斎(適塾)」を開く
       【福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲などを輩出】
       【参照:大阪大学:適塾
  • 1849年(39歳):佐賀藩輸入の種痘を入手。古手町に「除痘館」を開く
       【牛痘種痘法による切痘】




扶氏経験遺訓 (ふしけいけんいくん)

ドイツの医師フーフェランドの内科学に関する著書(蘭語訳)を邦訳したもの。


「扶氏医戒の略」 (ふしいかいのりゃく)

巻末の「医戒の大要」を12か条に整理したもの。

【 】は自分なりの現代語訳。

  1. 一、医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業の本旨とす。安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救はんことを希ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を復治し、人の患苦を寛解するの外他事あるものにあらず。

  2. 【医学においては人の為であり、自らのためではない事が本旨である。生命を守り、病を治し、患者の苦痛を和らげる事である。】

  3. 一、病者に対しては唯病者を見るべし。貴賤貧富を顧ることなかれ。長者一握の黄金を以て貧士双眼の感涙に比するに、其心に得るところ如何ぞや。深く之を思ふべし。

  4. 【患者を身分や経済力によって見ず、ただ患者として見よ。富者の金と貧者の涙を比べ、何を得るか。その事を深く考えよ。】

  5. 一、其術を行ふに当ては病者を以て正鵠(せいこく)とすべし。決して弓矢となすことなかれ。固執に僻せず、漫試を好まず、謹慎して、眇看(びょうかん)細密ならん事をおもふべし。

  6. 【患者は矢ではなく、射るべき的の中心点とせよ。考えを偏らせず、漫然とした試みを行わず、慎みを持ち、細心の注意を払うべし。】

  7. 一、学術を研精するの外、尚言行に意を用いて病者に信任せられんことを求むべし。然りといへども、時様の服飾を用ひ、詭誕(きたん)の奇説を唱へて、聞達を求むるは大に恥るところなり。

  8. 【医術を向上させる他に、なお言動に気を付け患者の信頼を得られるようにすべし。そうは言っても流行の様を用い、詭弁を唱え、世間に知られようとする事は大変恥ずかしい事である。】

  9. 一、毎日夜間に方(あたっ)て更に昼間の病按を再考し、詳に筆記するを課定とすべし。積て一書を成せば、自己の為にも病者のためにも広大の裨益あり。

  10. 【毎日毎夜、いかなる時も診断の結果を再考し、詳細に書き留める事を日課とせよ。積み重ねて行けば医学においても患者においても大変有益なものとなる。】

  11. 一、病者を訪ふは、疎漏の数診に足を労せんより、寧ろ一診に心を労して細密ならんことを要す。然れども自尊大にして屡々(しばしば)診察することを欲せざるは甚だ悪むべきなり。

  12. 【患者への往診は、なおざりに何度もするより一心に一度行うべし。けれども、横柄にして診察をしようとしない事はすべきではない。】

  13. 一、不治の病者も仍(よって)其患苦を寛解し、其生命を保全せんことを求むるは、医の職務なり。棄てて省みざるは人道に反す。たとひ救ふこと能はざるも、之を慰するは仁術なり。片時も其命を延べんことを思ふべし。決して其不起を告ぐべからず。言語容姿みな意を用ひて、之を悟らしむることなかれ。

  14. 【不治の患者においてもその苦痛を和らげ、生命を守る事は医師の務めである。放置し診察しないのは人の道から外れる事であり、例え救う事が出来ないと言っても、それを癒すのが仁の医術なのである。どんな時も延命を心がけ、最期を告げてはいけない。言葉や行動に気を配り、その事を悟らせるような事をしてはいけない。】

  15. 一、病者の費用少なからんことを思ふべし。命を与ふとも、其命を繋ぐの資を奪はば、亦何の益かあらん。貧民に於ては茲(ここ)に斟酌なくんばあらず。

  16. 【治療費を出来る限り少なくするべし。生命を救ったとしても、生活の糧を奪うようであるなら、一体どんな意味があるだろうか。貧しき人には事情を汲んであげるようでなければならない。】

  17. 一、世間に対して衆人の好意を得んことを要すべし。学術卓絶すとも、言行厳格なりとも、斎民の信を得ざれば、其徳を施すによしなし。周く俗情に通ぜざるべからず。殊に医は人の身命を依托し、赤裸を露呈し、最密の禁秘をも白し、最辱の懺悔をも状せざること能はざる所なり。常に篤実温厚を旨として、多言ならず、沈黙ならんことを主とすべし。博徒、酒客、好色、貪利の名なからんことは素より論を俟ず。

  18. 【世の人たちに好かれるようでなければいけない。知識技術において優れようとも、言行がきちんとしていようとも、皆の信頼を得られなければ治療を行う事ができない。俗物であってはならない。医療というものは人の命を預かり、人々の秘密を見聞きする所なのであるから、常に篤実温厚で言葉を控えるべきである。賭博、飲酒、好色、貪欲であるべきではない事は言うまでもない。】

  19. 一、同業の人に対しては之を敬し、之を愛すべし。たとひしかること能はざるも、勉めて忍ばんことを要すべし。決して他医を議することなかれ。人の短をいうは、聖賢の堅く戒むる所なり。彼が過を挙ぐるは、小人の凶徳なり。人は唯一朝の過を議せられて、おのれ生涯の徳を損す。其徳失如何ぞや。各医自家の流有て、又自得の法あり。漫に之を論ずべからず。老医は敬重すべし。少輩は親愛すべし。人もし前医の得失を問ふことあらば、勉めて之を得に帰すべく、其治法の当否は現病を認めざるに辞すべし。

  20. 【同業の医師に対しては敬意を忘れず、心を持って接せよ。例え意見する事が出来ずとも、他の医師を悪く言ってはいけない。人の短所を攻めるのは賢人がかたく戒めているものであり、揚げ足を取ることは小さき人間のする事である。唯一つの悪言が自らの一生をどれほど台無しにしてしまうであろうか。それぞれ己のやり方というものがあるのだから、口を挟んではいけない。年配の医師には敬意を払い、若年の医師は大切にせよ。患者に前任の医師に問われても良い所を伝え、その治療法の良し悪しについても現状を確かめることなく言うべきではない。】*最後の一文はこれでよいのか。

  21. 一、治療の商議は会同少なからんことを要す。多きも三人に過ぐべからず。殊によく其人を択ぶべし。只管病者の安全を意として、他事を顧みず、決して争議に及ぶことなかれ。

  22. 【治療についての話し合いは少人数が良い。多くても3人までとすべきであり、またその人選を慎重にせよ。患者の安全を第一とし、決して言い争うような事があってはならない。】*商議とは。

  23. 一、病者曽て依托せる医を舎て、窃に他医に商ることありとも、漫りに其謀に与かるべからず。先其医に告げて、其説を聞くにあらざれば、従事することなかれ。然りといへども、実に其誤治なることを知て、之を外視するは亦医の任にあらず。殊に危険の病に在ては遅疑することあることなかれ。

  24. 【患者が担当医ではなく他の医師に相談するような事があったとしても、まずその担当医に話を聞くべきである。しかしもしその治療法が誤っていると知って放置することは医者としてあってはならない。特に重篤な病に関しては手遅れとなるような事があってはならない。】

    右件十二章は扶氏遺訓巻末に附する所の医戒の大要を抄訳せるなり。書して二三子に示し、亦以て自警と云爾。

    安政丁巳春正月



順番が異なったり、表記が異なったり(文意が変わるほどではない)と、
少なくともネット上には複数の状態がある。
原書はどうなっているのだろう。

vespertide at 10:18|PermalinkComments (0) TrackBack (0) <$ArticleCategory1 $>